不走庵 三輪窯
寛文3年(1663年)、
初代 休雪が萩毛利藩に召し抱えられ、
三輪窯は御用窯となりました。
そして天和2年(1682年)に現在の地に移り、
代々、独自性を発揮しながら、その役目を務めてきました。
明治維新ののちには毛利藩の後ろ盾を失うも
窯の火を絶やすことなく萩焼の技法を守り続けました。
時を経て、十代 休雪(休和)は、八代 雪山が維新政府の
太政大臣となった三条実美から送られた揮毫
「不走時流」を家訓とし、
それまで200年以上続いた三輪窯を
新たに「不走庵」と号しました。
不走庵 三輪窯は現在もなお、
その伝統を守りながら革新を続けています。
休雪白
十代 休雪(休和)によって開発された藁灰の釉薬を
十一代 休雪(壽雪)が大成させた「休雪白」。
十三代 休雪もその魅力を存分に活かして
独自の造形に用いています。
窯
敷地内東側の斜面には、
明治初期に築窯されたと伝わる
登り窯があります。
型
初代より伝わる型を展示しております。
その中のひとつ『木ノ葉形皿』の型の裏側には、
「貞享五年九月吉日 三輪休雪作」
の刻銘があります。